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【5分で読める無料SF小説】英雄の卵:兇悪なる巨人への決死行

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生まれながら「期限」付きの命でこの世に生を受けた私が生きた時代は非常に残酷なもので、悪魔の巨人たちが大地を制する世界だった。滅亡が定められた世界では、虚構である夢を見て死ぬことも、夢が虚構であることを知って死ぬことも、等しく虚無だった。これは、私が生きてから死ぬまでの物語である。いつの時代でも良い――”生者”に届けばと切に願う。

 

英雄の卵:兇悪なる巨人への決死行

私は親が誰であったか記憶にない。兄弟がどんな顔をしているかも分からないし、そもそも今生きているかすらも知らない。いや、自分の顔でさえ見たことがない。生まれながらにして全身を”殻”のような固い膜で覆われてしまい、身動きが取れなくなった私は、なにも抵抗できずに巨人たちの奴隷としてこの世に産声を上げた。時たま聞こえる外界の世界の音だけが頼りで、これを参考に情報収集して物事を推測するしかない。私が生まれたころには多くの仲間が同様に謎の殻に閉じ込められて移動の自由を縛られているようだった。

不自由の呪縛から解放されることがない私たちは、一生狭く暗い”殻”の中で死を待つだけの命だった。自らの死に抗い、生きる道を模索できる可能性など絶無。ほぼすべての場合、巨人たちに食べられることでこの世から命を落とすことになる。

どうして巨人たちがこのような残虐非道な行為に及ぶのか、私には見当もつかないが、どうやら昔は巨人など存在しなかったらしい。当時私たちは自由に移動して生活を営んでいたのだが、「食物連鎖」「自然界」のトップに君臨する奴らが現れてから、すべてが変わってしまった。最初は共存を図っていた巨人たちも、次第に暴走的な行為が見られるようになり、あっという間にこの世は奴らの手中におさまった。地球に存在するすべての生態系が蹂躙され制圧されてしまった。私は、現在、家畜同然だ。

昔はどんな時代だったのだろうか。

親の顔を見たり、兄弟と遊んだり、友達をつくっていた時代があったのだろうか。「期限」付きの命を宣告されずに、自由奔放に野原を駆け回ることもできたのだろうか。この世界には、新緑の大地もあれば、氷に覆われた大陸、膨大に広がる水の塊があるらしい。私も、そのような世界を見てみたかった。一生、身動きの取れない殻の中で暮らす世界になってしまったのは、いったいなぜなのだろうか。悪いのは、この時代を謳歌している巨人たちだろうか、それとも、この時代に生まれた自分だろうか。

 *

先ほどから言及している「期限」とは、命の期限のことを指す。私たちは生後2-3週間のうちに巨人たちに食べられる運命にある。その頃が言わば”食べごろ”らしくそれぞれ期限をラベリングされていることが分かっている。本来ならば、もっと長く生きることもできるが、巨人たちの趣向のせいで私たちは生まれながらにして死へのカウントダウンが始まっている。毎日毎日、時が進むにつれて終わりが見えてくるのだ。

もう何日目なのか分からない。

ある日、私は巨人たちの手によって「運送」された。これも巨人たちの一つの習性であり、彼らは必ず私たちをどこか遠くへ移動してから食す。おそらくは、巨人たちの世界にもある種の「ヒエラルキー」が存在しており、その上位ほど新鮮なものを食べるといった具合だろう。私は生まれたてだから、割と高級部類に入る、そんなところだろう。

聞いた限りの情報では、私たちは昔は小麦や大豆など穀物を中心に食生活を送っていたらしい。しかし、基本的に肉食動物である巨人たちも穀物類が大好きと聞く。つまり、私たちは奴らにとって邪魔で排除すべき対象だった。だからこそ、こうして私たちの撲滅に勤しんでいるのだろう。世界はいつでも弱肉強食であり、適応できないものは淘汰されていく。その普遍性に論う権利も意味も無い。

私は遠くの地――死地――へ運搬されている間、人並みに物思いにふけっていた。

私の命には「期限」がある。
すべての物事には期限があるが、期限は与えられるものではなく自分で決めるもの。
それがこの世の中の掟なのだということを悟った。

目指す場所へ向かうと決意することにも進撃することにも期限があり、
目指す家族を見つけて育み見届けるにも期限があり、
自分自身の体が力尽きるまでにも期限がある。

なぜならば、この世の生命には期限があるからだ。
それがこの世界で決められた「神様のルール」だった。

しかし、その与えられた期限に黙って従え、ということを、神様は決めていない。であれば、私たちは自分で一定の期限設定を行い、そこへ向かい続けていくべきなのだ。時間は決して無限大ではないと誰もが分かっていても、限られた時の流れの中で思った通りの命を過ごせるものがそう多くないのはなぜだろう。与えられている期限をそのまま解釈しているものとの差異がここにあるはずだ。

命に期限さえなければな、と不意に私は独白してみたが、そんなことを妄想しても現実は変わらない。逆説的にいえば、期限があるからこそ、私たちは子孫を残すことができ、それを一つの本能とすることができたのだ。やや飛躍した論理かもしれないが、期限があるからこそ、今の私は、ここにいる。こうして途方もなく無駄なことを考えることができるのも、期限があるからだ。

 *

ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
揺れるなにかしらの乗り物の中、おそらくあと3日ほどで巨人たちに食べられる運命にあることを私は考えていた。

あと3日。
終わりが分かっているからこそ、私は毎日に期限を設定して実行すべきことを遂行した。

一日目、私は隣で一緒に運搬されているものに対して話しかけてみた。仲間は複数同時に運ばれることが多かったが、命についてみんな私と異なる思考を持っているのか、知りたかったのだ。それぞれと意思疎通してみた結果、私は特段探求心の気持ちが強いのだと分かった。ほかは大体が「死にたくない」「なぜこんな世界に生まれたのだろう」と嘆くばかりで、この世界の真実から目を背くだけの情けない弱者ばかりだった。

二日目、私たちは冷蔵室のような場所に監禁された。どうやら巨人たちは私たちの鮮度が落ちないように室温が一定である場所に閉じ込めておく風習があるらしい。仲間たちはやはり怯えきっていた。しかし、私は「期限」を知っている。タイムリミットを知っているから、ほかのものより思考回路が一足早いことも知っていた。悩んでいる時間があったら、やるのだ。

私が挑戦したかったのは、この忌々しい殻の中から出ることだった。私がここまで冷静にいられる理由の一つは、この殻から這い出ることができたならば、外の世界で自由気ままに生きることができるからでもあった。

チャンスは2回ある。
2回だけだ。

1回目は、仲間が巨人の手によってつまみ出されるタイミングだ。そのタイミングで私たちが格納されている箱のようなものが少し揺れることがある。揺れと同時に思い切り体の重心を一方向に傾ければ、この殻が倒れる拍子に表面に亀裂を生じさせることができるかもしれないと考えていたのだ。

私は、勝利のヒーローの如く意気揚々と仲間たちに作戦プランを伝え、発動の時を待った。

 *

作戦は失敗に終わった。

想像以上にこの殻は固く、そして動かすことすらできなかったのだ。すべて机上の空論でしかなかった。
この殻がどのような形をしているのか全貌はまったくもって不明であったが、作戦でわかったことはどうあがいても1mmたりとも微動だにしない、更なる絶望の真実がここにあることだった。

1日に何度も巨人たちは私たちを連れ去っては食べていった。その日は1日に3回くらい同胞が拉致されたが、いずれも帰還することなく霧散していった。

いよいよ最後の日がやってきた。
私は運良く一番最後に取り残されるものとなった。

最後の仲間は私の隣から連れ去られるときに私にこう伝えた。

「ありがとう。お前が最後で良かったよ。最後に英雄を見届けることができるんだからな」

何も言わない私を見て、おそらく悲しみに暮れているだろうと想像していただろう。しかし、私は悲しくも嬉しくもなんともなかった。なにもできない自分が悔しい一方、この気持ちをどこに発散すればよいのだという疑問が体を支配していた。ひとり残された空間で、すぐに思考を再開させた。

まだ、二度目のチャンスがある。
それは、巨人によって摘まみ上げられるときにある。

巨人は私たちを丁寧に扱う習性があり、連れ出すときも、あまり乱暴な真似はしてこない。つまり、力はほとんど入っていないのだ。油断している。

自分で重心を傾けることができなくとも、巨人によってつまみあげられて重心が傾く瞬間がある。その時に、一点方向へ全体重を乗せたらどうだろうか。慣性の法則に従って巨人の手から滑り落ち、私は地上に落下する。すると、地上に落下した拍子でこの殻が破壊されるだろう。私が逃げる瞬間はここしかない。

思いのほか、そのチャンスはすぐにやってきた。

これまで何度も聞いている音だ。
巨人が冷蔵室を開け、中にいる私をのぞき込んでいるのが分かった。

最初で最後の、自由への決死行。

今、やるのだ。

 *

巨人によって私は殻ごとつまみあげられ、冷蔵室から連れ出された。少しばかりの日数だったが、ここで仲間たちと過ごした思い出が蘇る。やや感傷的になったが、同時に私は少しほくそ笑んでしまった。

この作戦は、ほかの仲間の誰もが思いついていないようだった。

そして、私自身も誰にも言わなかった。

なぜか?

私より前に”先駆者”が現れては困るからだ。

この作戦は、巨人が油断している間しか効力を発揮しない。
一度でも「滑り落ちる」経験があると、巨人たちは次回からなにかしらの手段をもって私たちを強制的に連れ去るに違いない。だからこそ、私は誰にも共有したくなかった。誰かが助かることは、私が助からないことを意味していたからだ。

周りの仲間からすれば、私はさぞかし「沈着冷静」であり「利他精神」にまみれた優秀な逸材に見えたに違いない。世界を変える英雄の卵だ。しかし、私自身、周りから愉快犯でも狂人でもサイコパスでもなんと呼ばれたっていい。私は自分の期限を延長したいのだ。命に軌道修正を施し、この世界がどうなっているのかこの目で確認したい。自分は確かに存在したのだと、世界に対して叫びたい。

他のものが生き残っては意味がない。

私が生き残るのだ!

他の誰でもない、この私が!

 *

内心でそう誇らしげに嗤った私は、巨人の丁寧な手つきに捕捉されてから、脱出の機会を待ったが、その時はすぐにやってきた。

冷蔵室の扉を閉めた拍子に、巨人は私の殻の重心を下に傾けた。

私は全身に力を込めて降下方向へ全集中した。
最大限の念も込めて全力を振り絞る。

ダメか――?

そうあきらめかけたその瞬間、私は、突如体が浮いたように軽くなったことに気が付いた。

地上への自由落下を開始したことが分かった。

落ちたのだ。
自由が広がる大地に、落ちはじめたのだ。

私は、助かった。勝った。
自分の期限を延ばすことができる。

そう安心した直後、眼前が突如まぶしい閃光で染まり、燦燦と輝く地上が視界を突き刺す。刹那、強烈な振動が私の殻を急激に伝い、コンマ5秒もしないうちに殻は音を立てて炸裂した。そして同時に、私自身にも異変が起きたことに気づく。

体が、破裂している。

何が起こったのだ――。

私はその時、初めて自分の体が特殊な色をしていることに気がついた。
どろどろと流れ出る自分の体液。なんと醜い。
こんな体をしていたのか、私は。

私は、落下した衝動によって、死ぬ、ということか。

同時に、巨人たちがなにやら喚いていることに気が付く。
私の謀反気ある行動に、きっと怒り心頭であるに違いない。

しかし、私が初めて見る巨人の顔は、私を恐怖に陥れるには優しすぎる様子だった。

むしろ心配そうに私を眺めている。

 *

私は、色々なことを知らなすぎだ。無知だった。
こんな体をしていることも、こんな巨人たちの世界であったことも、なにも知らなかった。自分の殻と体がこんなにも脆いことも知らなかった。ただただ、まだ見ぬ世界を一度見てみたい、幼児のようにそう祈り叫び願った。いや、もしかするとほかのものよりも卓越した価値があることを証明したいだけだったのかもしれない。いずれにせよ、その気持ちが先行した結果、私は間もなく死滅する。

命などいつか果てるものだが、いつ終わらせるかは自分で決めることができる。自分で決めることはできるが、決断はそれを知る術を持ちうる賢者にだけに託されたカードなのだろうか。カードの存在など知らずに、愚者として運命に身を任せた方が賢者より幸福の一生を暮らせるのだろうか。もしかすると、連れ去られた弱き仲間たちは今頃外の世界で優雅に暮らしているのかもしれない。この巨人たちの表情を見ると、そんな可能性ですら考えてしまう。

私のように小賢しいことを考えないほうが、無事でいられるのかもしれない。これは私が自分の期限を意識して生きた罰なのだろうか。いや、生まれながらにして優秀だった罪滅ぼしか。

しかし、結局無知でいられたものたちも死ぬときに「賢かったらもっと生きることができのだろうな」と無駄な思考に最期のエネルギーを費やしていることだろう。最後に虚構の夢を見て死ぬか、夢が虚構であることを知って死ぬかの違いでしかない。どちらを取っても、結果は無常に虚しいことに帰結する。希望も絶望も紙一重。命など次なる命を育まない限り、虚無に等しい。

私は、消える価値を求めただけだったのだ。

そんな哲学的な思考で自分の体を満足させながら、この命が終焉に向かっていることを悟る。ぼんやりと遠のく意識の中、巨人たちからの最後の言葉が聞こえた。

 

「残念わねえ、今日は目玉焼きの予定だったのに」

 

 

 

 

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